大分県キリシタン
殉教記念公園
MEMORIAL PARK
THE CHRISTIAN MARTYRS
IN
ooita PREFECTURE
駐車場には車がいっぱい停まってます。
通称獄門原と呼ばれたここはキリシタンの処刑場であった。
公園内はきれいに整備されていました。
大分県キリシタン
殉教記念碑の由来
この地は、国主大友宗麟が保護したため、
キリスト教が目覚ましく繁栄したところです。
それだけに、ひとたび禁教の嵐が吹きすさんでは、
その被害も大きく県下いたる所に、尊い殉教の血が
流されました、わけてもこの葛木附近一帯は、
寛文年間(1661~1673年)を中心に、84歳の
老翁から14歳の少女まで、およそ200人のいたましい
殉教者を出すに至りました。
これらの人達は、幕府の残虐な迫害にも屈せず、
峻烈な刑罰をも怖れず、ひたすら信仰一筋に生き抜いて、
ついに殉教者として天に召されたのであります。
しかしこの世的には葬儀もなく、墓もなく史実や名前さえ
定かでないものが少なくありません。
この度私達は後記の会を作って、これら有名無名の
県下すべてのキリシタン殉教者に対し、その崇高な
信仰の跡を偲び、霊を慰むるため、
最も殉教者が多かったここ葛木の通称”獄門原”の地に、
公園を造り記念碑を建てました。
碑は彫塑界の第一人者北村西望先生の制作で、経費一切は
九重町の足立正平翁の篤志によるものであります。
ここにしるして翁に心から謝意を表します。
殉教の薄暑の葛木悼まばや
歌碑のようですが…読めない。
キリスト教弾圧のレリーフ。
怖い話「アルバイトの帰り道に…」