徳川三代将軍家光が元和9年(1623)10月13日、
江戸でキリシタンを処刑したことは徳川実紀によって知られている。
処刑された者はエロニモ、デアンゼルス神父、シモン、遠甫、
ガルウエス神父、原主水ら50人で、京都に通ずる東海道の入り口に
ある丘が選ばれたと、パジェスの「日本キリシタン史」にあるが、
その地は恐らくもとの智福寺のあった西の丘の中腹の辺であろうと考えられる。
その傍証としては智福寺開山一空上人略伝記に
この地が以前処刑地で長い間空地となっていたが、
そこに寺を建てることは罪人が浮かばれると
考えたとあることなどがあげられる。
なお寛永15年(1638)12月3日にも同じ場所でキリシタンらが処刑されている。
都旧跡
元和キリシタン遺跡
札の辻刑場もここにあったとされ、後に鈴ヶ森処刑場へ移転している。
またこの辺りにあったとされる
芝高輪刑場もしくは芝口処刑場も同じ処刑場の事をさしていたのかもしれない。