茗荷谷駅近くの地下道から、住宅街に抜ける道がある
この坂を「切支丹坂」という。
かつてこの坂を上った場所に切支丹(キリスト教信者)を幽閉した
切支丹屋敷があった。
切支丹屋敷跡
江戸幕府はキリスト教を禁止し、井上筑後守政重を
初代の宗門改役に任じ、キリスト教徒を厳しく取り締まった。
この付近は宗門改役を勤めていた井上政重の
下屋敷であったが、正保3年(1646)屋敷内に牢屋を建て、
転びバテレンを収容し、宗門改めの情報集めに用いた。
主な入牢者にイタリアの宣教師ヨセフ・キアラ・シドッチがいた。
享保9年(1724)火災により焼失し、以後再建されぬまま
寛政4年(1792)に廃止された。
かつてはこの切支丹屋敷跡には八兵衛という呼ぶと返事をするという
石があった。
八兵衛はキリシタンと交流を持ち、キリスト教に入信。
そのうちにそれがばれて穴の中に逆さに埋められる。
その上に置かれた石が「八兵衛石」である。
石に向かって「八兵衛さん悲しかろう」というと
返事をしたのだという。
ただ、八兵衛石の下にキリシタンが掘った穴があり、
それが反響したための音だったのだという。