山口県某所に六地蔵と石碑がある。
柊 六地蔵尊の由来についてから抜粋
江戸時代に此処に長州藩の刑場があって、
多くの方々が亡くなられました。
その先亡諸精霊の追福菩提のためにこの度
地元の有志によって柊六地蔵尊が建立されました。
六地蔵の端に古い石塔がありました。
大村益次郎顕彰碑
一説ではここで大村益次郎が女囚(女性の受刑者)の
腑分け(解剖)を行ったため建立されたようです。
この石塔こそが柊処刑場跡の供養塔である。
脱退諸士招魂碑というらしいです。
看板によると
脱退諸士招魂碑
明治3年新政府の兵制のあり方を批判して
旧奇兵隊士などの諸藩の暴動があった。
その勢力はさかんで、
山口の藩庁をかこみ要求をとおそうとしたが、
常備軍によって平らげられた
この暴動を脱隊騒動というが、その首謀者はとらわれ、
ここの柊にあった獄舎に入れられ斬に処せられた。
これを弔うため明治26年に供養塔を建てた。
その文は名文として有名であるが長長州が撰し、
自ら書いたものである。
供養塔の上には梵字があった。
大日如来のものかな?