曹洞宗 福昌寺
この境内に首切り地蔵がある。
この寺の近く、長府藩の松小田処刑場にあった地蔵である。
明治時代初期に藩政時代の処刑場は廃止された。
その際にこの首切り地蔵もこの寺に移されたという。
境内には首のない地蔵もあった。
舜青寺
ここには浮石義民の墓がある。
長府松小田の処刑場で処刑された有名な義民である。
ここに埋葬されている浮石義民五氏は
今から270余年前の宝永5年(1708)、
この地方が未曾有のかんばつに
みまわれたとき、身を犠牲にして
浮石村の農民を領主の苛斂誅求
(年貢をきびしく重くとりたてること)
から救ったまことに敬仰すべき
人達である。
石の柵で囲われている中には
五つの石の盛り土?があった。
浮石義民伝
宝永5年(1708)未曾有の干ばつに困る
飢饉のため年貢米の減免を嘆願したが
長府藩筆頭家老椙杜中務元世は全く聞かず
翌年は豊作と査定して二割の増徴を強行した
重ねての嘆願も哀願も一切許されず
村民愈々困窮し阿責に堪えず
宝永7年7月11日
庄屋 藤井角右衛門
副庄屋 奥原九左衛門
畔頭 東与市右衛門
畔頭 蕨野太郎左衛門
畔頭 柳元寺豊吉
五氏は浮石村のために内日村亀ヶ原にて
幕府の巡検上使に直訴を決行した
採り上げられて浮石村民は蘇生したが
五氏は直訴の罪により
宝永7年12月22日長府松小田にて処刑された
村民は密かに遺骸を此処に鎮る
平成2年(280)年記念
浮石義民顕彰会
亀尾山八幡宮
浮石義民顕彰碑
昭和13年12月
浮石村民建之