投稿者:まんちゃんさん
私の友人の自衛官の体験です。
昭和60年8月12日 日本航空123便が群馬県の御巣鷹山に墜落して
航空機事故史上最悪の520人もの方が亡くなりました。
友人はその遺体の回収作業のために現地に赴き、
そこで理不尽な死を遂げた方々の悲痛の叫びを聞いたのでした。
現場は標高1500~1600mの尾根で、到着してまずその臭いに驚いたそうです。
燃料の刺激臭に混じり人肉や髪の毛の焼けた臭いが充満し、
さらに地獄絵図が斜面一杯に広がっていて、
平和な日本では例え自衛隊員でも経験した事のない世界がそこにはあったそうです。
友人は機体前方部に乗っていらっしゃった方の
遺体の搬出を担当したそうですが、
そこは五体満足な完全遺体はほとんどなく
ばらばらになった肉片や所持品、
衣類が散乱していてどこから手をつけていいのか
わからなかったそうです。
収容する遺体すべてが、どこの部分かわからないものばかりで、
ひとつひとつ収容した場所や状況を書いて
毛布やシートにくるんで運び出したそうです。
そして夜はもちろん現地で野営をし、ほとんどの隊員は
食事が食べれる状態ではありませんでした。
しかし次の日の作業の為に無理してでも隊員達は
戻しながらでも食べ物を口に運んだそうです。
寝る所は地面に毛布を敷いて、ひょっとすると
下に遺体があるかも知れないという状況。
現地の自衛隊員、警察官は同じ条件のもと1日目の夜を迎えました。
昼間の作業でクタクタのはずなのに
夜の12時をまわっても大勢の人が起きていて、
しかし辺りは誰もいないと思うほど静寂さが包んでいたそうです。
いつしか友人はうとうとして夜中の3時頃目を覚ましました。
すると周りが騒がしい・・・。
「なんだこの声は?」
声は最初小さかったそうですが、徐々に大きくなってきました。
「大丈夫!心配ないって。」
「おか~さん」
「きゃ~!」
「うあ~」
・・・声はだんだんと悲鳴に変わりました。
時間にして15~20秒、彼は墜落寸前の機内の叫びを聞いたのです。
その間全く動けなかったそうです。
朝6時前、すでに大半の方はあまり眠れず、
まんじりとしたあさをむかえました。
隣の同僚もほとんど眠れなかったらしく、
みんなで昨夜の出来事について話して驚いている
と一人の隊員は足下から
上半身黒焦げの男性が這い上がって来たそうです。
そしてやはり声も聞いたそうです。
この話は出そうかどうか迷いました。
しかし事故を年月で風化させないがため。
そして亡くなった方々の御冥福を祈る意味であえて投稿しました。