投稿者:クレイドール107号さん
私は幼い頃、親戚の家に行くのが怖かった。
その家は京都市の太子道(たいしみち)という
太秦天神川へ繋がる細い通りにある、
古い京町家と言えば聞こえはいいが、
家の中はとても暗く、雰囲気の重い家だった。
母の実家でもあるその家には祖父と、
叔父夫婦に私の従姉妹に当たる孫3人暮らしの大世帯なのだが、
母と叔父の嫁との仲が最悪と言っていい程の関係で、
母に連れられ赴くと、叔父の嫁が何しに来たと言わんばかりに
出迎えた。
その嫁の顔はまるで般若そのものであった。
ある時、母が台所から包丁を持ち出し、
叔父の嫁に殺してやると、振り回しながら追いかけ回した事があった。
幼い私にとって、大人たちの争いはとても恐ろしく、
泣きじゃくりながらやめてと、懇願し続けていた。
母も叔父の嫁もお互いがなぜか顔を会わすだけで不快感はもとより、
怒りと憎しみ、あらゆる負の感情が沸き起こると零していた。
ある時私はこんな夢を見た。
その家の玄関引き戸を開けると、三畳分程の土間があり、
その中央に乳母車が置かれてあった。
中には赤ん坊が起きていた。
しかしその赤ん坊の首から上が既に切断されていた。
首の無い小さな身体の切断面から血の泡がブクブクと吹き出していた。
私は何故かその赤ん坊を自分の父親だと直感した。
その家は祖父が戦後、破格の値段で購入した土地付きでは無い
上物だけの前栽(せんざい)付きの中古の平屋だった。
ある日納戸を建てたいと言った祖父は、その前裁の木を
家族の反対を押し切って切り倒し、庭を潰して念願通りに納戸を建てた。
その直後、家族が次々と病に倒れ、空き巣が入り、
張本人の祖父は交通事故に遭って急死に一生を得るが
片方の耳が聞こえなくなった。
後年、その土地が西土居処刑場と知り、
その跡地に親戚の家が建てられていた、と分かった。
昭和の頃、ビルの建設工事の際、沢山の人骨が出没したという。
その人骨たちは首と胴体が別れていたという。
その親戚の家のすぐ近くに天神川が南進しており、
川に架かった橋の名が地元の人たちからは、
通称地獄橋と呼ばれていたと知った。
何故母が人が変わった様になったのか分からなかった。
ちょうどその頃母は父親と離婚をした。
父親とも憎しみ合っていた。
今でもその家の床下に人骨が
まだ埋まったままなのではないだろうかと思うことがある。
親戚の人たちはその上で暮らしているのではないかと。
人間のバラバラ死体の上で。