土器野処刑場跡

土器野処刑場跡 心霊スポット
土器野処刑場跡

土器野処刑場跡
瑞正寺
土器野処刑場跡の供養塔がある。
土器野処刑場跡2
庭にあるひときわ大きなヒゲ題目。
宝塔の由来
徳川時代この附近に断罪の仕置場があった。
たまたま熱心な法華経の信者若松庄九郎
熊野屋孫弥兵衛の両名は悪業の因縁によって
悲しくも死刑に処せらて命終した人達を憐み
この人達を佛陀の大慈光に浴せしめて永劫流転の
苦悩を救ってやり度いと宝塔建立を発願した。
時に文化5年であった。
伊豆小松原より大石を切り出し8年の辛苦を経て
文化12年に完成した。
当時断罪の時、使用の刀槍を洗ふ為め「槍洗の池」といふ
小池があった。
それを題目書写の石を以て没し平地としたのが
此辺り一帯である。
宝塔はこの「槍洗の池」の真上に建立されたのである。
死刑場に牽かれた罪人いづれも宝塔を拝んで懺悔合掌し
佛の慈光に救はれて逝いたと云ふ。
土器野処刑場跡3
日本一の宝塔
瑞正寺境内に高さ4.5メートルで
日本一といわれている宝塔がある。
この北方に尾張藩の刑場があり、
処刑された罪人の菩提を弔うため、
1815年に建てられた。
二人の有志により発起され、自らは
家財をなげうち、八年かけて成就したもの。
船で運ばれ、新川をさかのぼった。
以来宝塔様として知られ、処刑者が
この前を通るときは合掌礼拝し、
その後処刑されたという。
土器野処刑場跡4
宝塔のそばには「尾張藩刑場址」の碑がある。
さて、処刑場の場所はこのお寺の北方にあった。
土器野処刑場跡5
この北中野公園がその敷地であったという。
さらに少し歩いた場所には
土器野処刑場跡6
小さな墓地があり、元々「尾張藩刑場址」の碑は
この場所にあったと言われている。
土器野処刑場跡7
お地蔵様が並び、もしかしたらこれが首切り地蔵であったのだろうか。


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