五義民の首切塚
五義民とは、打ち続く不作と
重税に悩まされる村民を
救おうと藩主に直訴計画を
たてたが露見し、代表に江島与一エ門同吉兵工、
同権助、成田喜左エ門、同喜兵エらが処刑された。
享保9年、肝煎と税(貢税一石につき村入用60文)の
ことで紛争、藩の裁きで21人が入牢、
内16人が追放、5人が首を切られて
三昼夜さらし首にされたという。
史跡 五義民首切塚
五義民碑
付近にある永安寺
永安寺には五義民地蔵がある。
五義民地蔵
(別名、首なし地蔵)
五義民の冥福供養のために建立された
地蔵で、台座に戒名願主が刻まれている。
寂知宗空信士(戸島与市右衛門)
一山道超信士(戸島吉兵衛)
別宗道釼信士(成田喜兵衛)
別山道機信士(成田喜左衛門)
一燈宗源信士(戸島権助)
享保12年 願主 戸島三郎兵衛
堂宇は五人の特志者により建立されました。
名前の通り首が…後から自然石をつけたものなどがある。
故意に首を取ったのかそれともとれたのか…