キリストの墓
イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間
神学について修行を重ね33才のとき、ユダヤに帰って
神の教えについて伝道を行いましたが、その当時ユダヤ人達は、
キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕えて
十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって
十字架の露と果てたのであります。
他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、
困難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏み
この戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、
この地に没しました。
この聖地には右側の十来塚に
イエスキリストを、右側の十代墓に弟イスキリを祀っております。
以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。
十代墓
イスキリを祀った方です。
十来塚。
こちらがイエスキリストの墓。
キリストの墓。
青森にあるとは…。
キリストの墓
昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨木市)から
訪れた竹内巨麿氏により、竹内家の古文書をもとに
発見されました。
古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは
弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、
ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。
向かって右側がキリストの墓”十来塚”、向かって左側が
弟イスキリの墓”十代墓”と言われており、
毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドヤラの唄と
踊りが奉納されます。