赤山地下壕

赤山地下壕 心霊スポット
赤山地下壕

赤山地下壕
赤山地下壕

入壕時間10:00~15:00(11月~2月)
      10:00~16:00(3月~10月)
入壕する際は、必ず受付をしてください。
受付時間は、閉壕30分前までです。
休壕日 毎月第3火曜日及び12月29日から翌年1月3日まで
    ただし、第3火曜日が休日の場合は、その翌日
入壕に際しての遵守事項は、必ず守ってください。
壕内は通路に凹凸等や天井の低いところがありますので、
足元や頭上に十分注意してください。
一般:200円
ヘルメットと懐中電灯を貸してもらえます。
赤山地下壕2
赤山地下壕は有料公開されています。
赤山地下壕跡
1930(昭和5)年、海軍5番目の実戦航空部隊として、館山海軍航空隊が
つくられました。それから、1945(昭和20)年の終戦までの間、
館山市香から沼にかけての一帯には、航空機の修理部品の補給をおこなった
第2海軍航空廠館山補給工場、食料・衣服・燃料などを補給した
横須賀軍需部館山支庫関係の施設や、1943(昭和18)年に
兵器整備の練習航空隊として開かれた洲ノ崎海軍航空隊など、
さまざまな軍事施設がつくられました。
東京湾の入口にあることから、館山市には、海軍の施設だけではなく
陸軍の砲台や(洲ノ崎海軍航空隊、館山海軍砲術学校)など、
いろいろな種類の戦争遺跡が残されています。
このような場所は、わが国のなかでも例が少ないといわれていますが、
この赤山地下壕は、合計した長さが約1.6kmと全国的にみても
大きな地下壕で、館山を代表する戦争遺跡のひとつです。
つくられた時期ははっきりしていませんが、このような大きな
地下壕が、1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦の前に
つくられた例はないといわれています。
その一方で、昭和10年代のはじめに建設が始まったっという
証言もありますが、当時の軍部が本格的に防空壕をつくり始めたのは
1942(昭和17)年より後であるという歴史的な事実があります。
全国各地につくられた大規模な地下壕の壕と壕の間の長さは、
一般的には10~20m以上(長野市松代大本営の象山壕は25m)
であるとされていますが、この赤山地下壕は5~10mと狭い上、
計画的に掘られたとは考えにくい、そのつくりから見て、
終戦がさし迫った1944(昭和19)年より後に建設されたのではないか
と考えられています。
アメリカ軍の空襲が激しくなった太平洋戦争の終わりの頃、
この赤山地下壕が、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたことは
内部にある発電所跡や、終戦間際に、この壕の中で実際に館山海軍航空隊の
事務を行ったという体験や、病院の施設があったなどの
証言から、知ることができます。
赤山地下壕3
この壕はどのように使われたのだろう
防衛庁防衛研究所に
「館山航空基地次期戦備施設計画位置図」という
図面があります。
太平洋戦争末期につくられたこの図面をみると、
赤山地下壕の位置には、
「工作科格納庫」「応急治療所」「自力発電所」
と記されています。天井が高い壕は、格納庫として
使われたのかもしれません。
赤山地下壕4
結構中は広いです。
同じような道がずっと続いています。
赤山地下壕5
なぜか風呂釜が…

戦後の赤山地下壕
終戦後は「忘れられた存在」になっていましたが、
温度が年中一定していることから、
昭和30年前後頃より、キノコ栽培に
使われていました。
国内の他の戦争遺跡にも、戦後しばらく
キノコ栽培に使われた地下壕があります。
この風呂やボイラー、コンクリートブロックなどは
そのときに設置されたものです。
心霊スポットというよりは戦争跡ですが、
中はそこそこ涼しいのでちょっとした
肝試し気分を味わえるかも?

千葉県心霊スポット

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