本郷薬師処刑場跡

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本郷薬師処刑場跡
本郷薬師処刑場跡
本郷薬師というとお分かりの方もいるかもしれない。
薬師堂のあった場所にはかつて真光寺という寺の境内であった。
この寺が一時期廃寺状態であった時、処刑場として使用されていたそうだ。
本郷薬師処刑場跡2
進むと小さなお堂がある。
これが薬師堂である。
本郷薬師由来
神様のお告げ、とか佛様のお知らせ等には、時として
現代人も驚く様な科学性や現実性を含んでいることがあります。
江戸は4代将軍家綱(1663)の時代、悪い病気が流行して
八百八町を其の名の通り震え上がらせたのが
当時瘧(おこり)と言った今のマラリヤであります。
其の時の佛様のお知らせが次の通りです。
「草やぶを焼き排い、どぶさらいをしてきれいな水が流れる様にし、
町角の用水桶の水も取り換えて、お薬師様ををお迎えし、
どんどんお線香をたきなさい」
要するに藪蚊退治をしたわけで、流行病も間もなく消えるが如く静まった。
と言うのも理の当然と言う事でしょうか。約300年前の出来事です。
37、21日の護摩修業の末、佛様のお知らせを頂いた人が、
彼の真光寺を再興した法印清賢と言う大和尚、
此の時お迎えした薬師佛が1千年程昔、慈覚大師の彫り上げられた薬師像です。
後に「江戸東北の守りとせよ」との家綱将軍のお声がかりで、
本郷に御堂が建ち、以来本郷薬師として四民の守り佛として
此の地に鎮座することになり、巾広い信仰の対象として現代に至って居ります。
「民衆のあらゆる病気、病苦を救い、見透しの暗い持病をもなおす。」
と言うのがお薬師様の悲願です。お悩みをお持ちの方は
何によらず祈願なさる事を御すゝめします。必ず御利益があります。
本郷薬師処刑場跡3
本郷薬師
この地は、真光寺(戦災にあい世田谷区に移転)の境内であった。
伝えによれば、寛文10年(1670年)ここに薬師堂が建立された。
当時御府内に奇病しょうけつし、病にたおれる者
数知れず出たためこの薬師様に祈願して病気が
治まったといわれている。苦悩を除く仏とされている。
以来人々に深く信仰された。
「本郷夜市は著名なり。連夜商人露店を張る。
毎月8日・12日・22日は薬師の縁日なり。
縁日の夜は、殊に雑踏を極むるなり…」
(新撰東京名所図絵より)
本郷薬師の縁日の夜は植木・雑貨・骨董などの店が並び、
飲食店もでて大へん賑やかであった。
牛込神楽坂善国寺の毘沙門縁日と共に大変有名であった。
御堂は戦災で焼失したが、昭和22年に改築され、
さらに昭和53年に新築された。
本郷薬師処刑場跡4
薬師堂内部撮影。
本郷薬師処刑場跡5
さらにちょっと進むと十一面観世音菩薩像がある。
これも寺の敷地内にあったという。
十一面観世音菩薩と真光寺
元この地にあった天台宗真光寺の観世音銅像(座像長4尺8寸)は
十一面観世音菩薩と呼ばれ地域に親しまれている。
東は現本郷通り、南は春日通りに囲まれ、少し奥まった所に
真光寺はあった。真光寺は藤堂高虎によって再建された寺であり、
本郷薬師及び十一面観世音菩薩は真光寺境内に置かれていた。
十一面観世音菩薩の蓮華座には「六十六部供養佛 江戸神田鍛治町
小林修理源義是作」と鋳物師の氏名が刻まれ、依頼主は
「当寺第四世 大阿闍梨権大僧都 堅者法仰尚賢子具」とあり、
「享保五庚子(1720)九月日」の紀念銘がある。
観世音信仰が盛んになったのは奈良時代(710-794)からである。
温顔で自ら修行の傍ら、多くの衆生を教化、救済してくれる
この像に人々の信仰が集まった。十一面観世音は本来慈悲の
面を基調に、時に応じ、場に従い、様々な顔を使い分け、
人々を救済してくれるため、深く信仰の対象となった。
真光寺は太平洋戦争で焼失し、世田谷区給田に移転したが
この十一面観世音菩薩は罹災をまぬがれこの地に残った。
本郷薬師処刑場跡6
十一面観世音菩薩について(入り口にあった看板より)
此の奥、ホテル磯山館の横手を右に折れて20米の所に、
十一面観世音菩薩が安置されて居ります。
一度拝んだら忘れられない、おだやかなお顔、
是非御参拝下さる様御推め致します。
由来については数々のエピソードがご座いますが、簡単に申しますと
今ありますお薬師様附近は昔、犯罪人の処刑場、つまり
首切り場で、人も恐れて近よらない淋しい荒れ寺の一部で
ありました。夕暮れともなりますと、何十羽という烏が
飛んで来ては、晒し首の目玉をつつき出し、それは二た目と
見られぬ地獄の有様であった。と古老は伝えて居ります。

此処に全国66ヶ所の霊場に観音経を奉る66部衆と
言う組織がありました。将軍吉宗の頃(1720)余りのあわれさに、
此の人達は近郷近在の庄屋、名主を説きふせて寄付金を集め、
御招来申し上げたのが此の観音様で御座います。
それまで人の居つかなかった此の地に、
数年を出ずして立派な門前町が出来上り、
御薬師様の繁栄と共に本郷の名物となりました。
明治維新の折、佛教を廃止して釋迎の教えを捨てよ、之を排…
(下の方はほとんど判別できず…)
藤堂高虎は1616年に家康との関係から、
日蓮宗から天台宗に改宗したという
逸話が残っており、この頃から1630年までの間に
東光寺を再建したものと推察される。
ということでおそらくは江戸初期に荒れ寺で、
処刑場や晒し場にされていたのではないかと思われる。



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