官軍塚

心霊スポット

官軍塚
官軍塚
戊辰の役末期の明治2年1月3日夜、熊本藩兵
350人を乗せた船が、市内川津沖の
岩礁地帯で難破し、130数人の死者を出し
ました。地元川津では総出で救助にあたり
遭難者を埋葬供養したのがこの官軍塚です。
この船は熊本藩主細川護美が函館五稜郭で
榎本武揚鎮圧に苦しむ実弟の津軽藩主
津軽承昭を救援するため、横浜で
米国汽船を雇い出発させたものです。
なお、官軍塚碑は昭和44年2月8日、
百年忌を記念して建立されました。
また、川津津慶寺には遭難者の過去帳と
熊本藩兵埋葬の碑が残されています。
官軍塚2
官軍塚之碑
明治のはじめ、幕臣榎本武揚は、新政府に
反抗して、北海道五稜郭に立てこもった。
朝廷は弘前藩主津軽承昭に命じ討伐させたが
容易に鎮圧できなかった。
これを知った弘前藩主の実兄熊本藩主
細川よしくには、進んで援軍を決意し、
明治2年1月2日藩兵300数十名を品川沖から
出航させた。しかるに翌夜暴風雨に遭い、
不幸この地根中岩礁に難破した。
この時川津村民は、村をあげて決死的救助に
努めたが、ついに200余名の溺死者を
出すにいたった。村民深くこれを哀れみ、
ここ花立台に葬り、官軍塚と称し香花を
絶やすことなかった。
たまたま大平洋戦争中、沿岸警備陣地と
なり旧態を失ったが、昭和38年県史蹟に
指定、本年遭難百年に際し、改めて碑を
建て往時を回想するものである。
官軍塚3
背後にあった墓碑。
官軍塚4
すぐそばには展望台がある。
官軍塚5
展望台からにの眺め。



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