福岡県福間町
千鳥ヶ池。
現在公園化され、地元の人々の憩いの場となっている。
この池には大蛇伝説がある。
千鳥ヶ池のほとりに若い農夫婦伝吉と千鳥が住んでいた。
千鳥はとても美しかったが伝吉はひとつだけ不審に思うことがあった。
千鳥は伝吉に家の戸を開ける前に咳払いをしろというのだ。
ある日伝吉はこっそり家に戻り部屋を覗いた。
そこには白い大蛇がとぐろを巻いた姿が!
伝吉は知らぬふりをして家に帰ったがその青ざめた顔を見た千鳥はすべてを悟り、
大蛇の姿になって千鳥ヶ池に身を投じ、池の主となった。
以来この池では何度となく雨乞いの儀式が行われている。
千鳥ヶ池の草むらで蛇の抜け殻を発見した。
大蛇の子孫だろうか。
また諸説では熊野神社の娘、千鳥姫が婚約者と結ばれなかったことを悲しみ、
池に身を投じたという伝説もある。
千鳥姫の墓は隣町、福間町にある。
隣には「節婦 千鳥姫の墓塔」とあった。
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「千鳥様」由来
天正の頃(1573~91年)冠山・熊野神社の神職・中村兵部に千鳥という才色兼備の姫がいた。
姫には婚約者もあったが彼は修行のため諸国霊場の巡拝中であった。
その頃近隣の富豪が姫のうわさを知り息子の嫁にと所望し、権力にまかせて強引に略奪し嫁とした。
帰郷してこのことを知った婚約者は失意のまま再び諸国行脚に旅立った。
村人よりこの話を聞いた姫は大いに嘆き悲しみ
自責の念からの傍の大地(現在の古賀町)千鳥ヶ池に身を投じ命をたった。
村人は姫の心情をふびんに思い亡骸を持ち帰り古里の山頂に懇ろに葬り
その命日8月7日を縁日として今日まで祭り続けてきた。
昭和36年の団地造成に際し現在地に移転されたが、
老朽甚だしくこの度千鳥姫供養のため改築されたものである。
昭和63年8月吉日
福間町教育委員会
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元々の墓塔はこれだったのだろうか。
千鳥ヶ池の名前の由来はこの千鳥姫からという話もある。