皿倉山

心霊スポット

皿倉山
皿倉山
夏になると夜景がものすごい綺麗な場所だが、
一方、その展望台で心霊写真が撮れた事で有名である。
実は皿倉山は途中まで車で登れるがある程度登ると歩いて登らなければならない。
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皿倉山(標高622メートル)
伝説に、神功皇后が西征のおりこの山に登り、
大岩の上から日暮れまで
国々を眺望し、下山のときに更に
夕闇が深まっていたので
「更に暮れたり」と云われたという。
このことから更暮山或は更暗山と呼ばれ、
それが皿倉山に転じたと
伝えられている。皇后が立たれたという
大岩は当山頂の東肩にあり、
この伝説にちなんで国見岩と呼ばれている。
争乱の南北朝時代、将軍足利義満は
九州での北朝武家方の衰勢を
挽回させるため、今川了俊を九州探題に任命した。
了俊は建徳二年(1371)12月、
中央軍を率いて門司に上陸。
翌正月には赤坂(小倉北)に本陣を構えて
九州の南朝宮方の勢力封滅作戦を開始した。
その両軍最初の合戦の舞台になったのが、
この一帯の多良倉城(皿倉山)鷹見山(権現山)
麻生山(花尾山)の山々である。
了俊の探題軍はこの合戦の勝利に勢いをえて、
宗像・高宮と陣を進め、
その年8月には懐良親王の征西府大宰府を攻略した。
北九州市 帆柱自然公園愛護会
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皿倉山2
夕方だったので夜景は楽しめませんでしたが・・・。
ちなみにこの展望台にすぐ下がケーブルカーの終点駅です。
歩いて登るのがいやだったらケーブルカーで行く事をオススメします。
皿倉山3
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大正9年より昭和16年まで2374回皿倉山登山を
実行し、さらに昭和5年から国旗掲揚を
励行し続けた八幡製鉄所勤務の西喜六氏、
及び火根美源三氏や製鉄山岳部の有志で、
昭和7年登山者のため避難所を設け、
安全を祈念して山の守護神を祀った。
しかし昭和16年高射砲陣地構築のため
掲揚搭・避難所が撤去されるので
神璽は西氏自宅に奉斎。
北海道転勤後も祀り続けてきたが、
縁あって神璽が帰福したので、
ここに石祠を設けて奉斎したものである。
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祠にはこういう記述があった。
2014年再び訪れてみました。
皿倉山4
皿倉山と言えばなんといっても夜景。
心霊写真が撮れるというのも、
夜景の記念写真撮影の際がほとんどと言われています。
皿倉山5
以前きた展望台…老朽化で閉鎖に?
皿倉山6
夜景はこんな感じです。
もう周辺はカップルだらけ…。
100億ドルの夜景でしたっけ。
写真よりも実物の方がもっと綺麗なんですが。
皿倉山7
こんなの前あったかな…?
車で頂上近くまで行けますがそこから徒歩で登ります。
ケーブルもありますが、あれ?リフトなかったっけ?
…スロープカーになったそうです。
しばらく来ないと変わってるもんですね。


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