花火で有名な浅川町に弘法山という場所がある。
昔はここに琴平神社を祀っていたという。
現在の観音堂は、文政13年(1830)に作成された
浅川の絵地図にある観音堂で、月斉陣馬にあったものを
大正年間(1916頃)に移したものである。
この場所には馬頭観音等が35基ほど、ほかに
天明2年(1782)の庚申塔、寛政9年(1797)の
如意輪観音と二十三夜塔、明治34年(1901)の
征清記念碑、大正13年(1924)の大黒天などが
立ち並んでいる。
観音堂内の仏像の制作年代は明らかでないが、
入口の鰐口は天明5年(1834)7月10日奉納とある。
観音堂の右側には文殊菩薩の石造仏が、昭和14年(1939)
3月25日に建立されている。
麓を流れる社川と殿川の交流点の河原は、浅川に陣屋が
あった頃の処刑場跡である。寛政10年(1798)の
浅川騒動の首謀者たちも、ここで処刑されている。
伝統と歴史のある浅川の花火は、昭和21年(1946)まで、
この場所で打ち上げられていたが、現在はお盆の
16日花火の当日、両町青年会による慰霊祭が行われ、
祭文が読み上げられている。
こちらが観音堂。
中には観音像が安置されている。
文殊菩薩堂。
中には大きな文殊菩薩像が安置されている。
そしてすぐそばの河原に石柱が建っているのが見える。
河原の方に下りてみると…
石柱には文字が彫られていた。
浅川陣屋刑場跡
の文字。
石柱からの河原がなんとなく哀しい感じがした。