墓地の中を抜けると山の上の方に林があり、
こういった案内板がある。
会津大塚山古墳
会津大塚山古墳
会津盆地の東側にある比高30メートルの
独立丘陵上に造られた柄鏡式の前方後円墳で、
全長約24メートルの規模を有する。
昭和39年、市史編纂のあめに発掘調査が実施され、
主軸と直交する二つの割竹型木棺が検出された。
その副葬品には三角縁ニ神二獣鏡、三葉環頭太刀、
直弧文を有するゆきなど39点が出土した。
古墳の造営は4半世紀と推定され、東北地方では
最古に属する古墳に位置づけられている。
この古墳の被葬者は会津盆地を治めた首長と
考えられ、その副葬品からすでに、畿内の
大和朝廷と密接な関わりをもっていたことが推定される。
そしてこの大塚山古墳が江戸時代、
キリシタン処刑の場になっていたという説もある。