お菊塚
紅谷町公園にお菊塚というものがある。
すべり台の向こうにあるのが…
こちらがお菊塚の碑。
番町皿屋敷 お菊塚
伝承によると、お菊は平塚宿役人
真壁源右衛門の娘で、行儀作法見習のため
江戸の旗本青山主膳方へ奉公中、主人が怨む
ことあって菊女を斬り殺したという。
一説によると、旗本青山主膳の家来が菊女を
見染めたが、菊女がいうことを聞かないので、
その家来は憎しみの余り家宝の皿を隠し、
主人に菊女が紛失したと告げたので、菊女は
手討ちにされてしまったが後日皿は発見されたという。
この事件は元文5年(1740)2月の出来事であったといい、
のちに怪談「番町皿屋敷」の素材となったという。
また他の話によると菊女はきりょうが良く小町と
呼ばれていたが、24才のとき江戸で殺されたといわれている。
死骸は長持詰めとなって馬入の渡場で父親に引き渡された。
この時父親真壁源右衛門は「あるほどの花投げ入れよすみれ草」
と言って絶句したという。
現右衛門は刑死人の例にならい墓をつくらず、センダンの木を
植えて墓標とした。
昭和27年秋、戦災復興の区画整理移転により現在の
立野町晴雲寺の真壁家墓地に納められている。