源実朝公御首塚
若くして非業の最期を遂げた征夷大将軍 源実朝公の
御首塚である。実朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝の子で
建仁3年2月7日に三代将軍になった人物で、歌人としても
名高く、その私家集に「金塊和歌集」がある。
承久元年(1219年)正月27日、右大臣拝賀の帰り
鶴岡八幡宮の社頭で二代将軍頼家の子公暁のために
討たれた。その御首は行方不明になったが、三浦義村の家臣、
武常晴が拾い上げ、波多野氏を頼ってこの地に葬ったと
地元では伝えている。右手の五輪塔がその御首塚である。
武氏は当時、三浦郡武村(現在の横須賀市武山)の領主で、
後に当地寺山に移り住んだといわれる。当家に伝わる
系図では、実朝の御首を探し求めていた武常晴が偶然に
当地で御首を発見し、この地に埋葬したと記している。
波多野忠綱は、実朝の菩提を弔うために、三十三回忌に
退耕行勇を招金剛寺を建立した。同寺には実朝公の木像、
念持仏等が保存されている。
源実朝の首塚
小高い丘の上にあった。
真ん中の五輪塔がそうだろうか?
右手のってどの右手なんだろう…