由緒
ようこそ、名水壺井ノ井戸。壺井地蔵へ。往昔、奈良時代の高僧行基僧正
(今で言う社会福祉を行われた方です)が、当地にて野原に湧き出る水を
見つけられました。我々の先祖(おやたち)は、湧き出る水を井戸としました。
旧二条通りは太泰、お太子さん、丹波道への主要街道で人、馬などの
休憩の場となり、茶所、壺井堂を現在の朱雀第八小学校のプールの
ある場所に建てました。先祖(おやたち)は堂守を置きました。
江戸時代、近畿の国、六十六ヵ国をまわり、修行をされた修行者、、
六十六部坪井清遊師が、当地の壺井堂の堂守となられました。
江戸時代、京の都には、市中引き回しがありました。
斬首されるかたは、二つの道程があり、六角獄舎を出発し、
一条戻り橋では、最後に小餅をここ壺井ノ井戸では末期の水を、
西土居刑場へ旅だたれる前に六十六部坪井清遊師は、当地で
経文をあげられました。私達の知る壺井庵主 故 井上孝順尼は
近隣の皆様によると九十齢をこえる高齢にもかかわらず
最後まで壺井ノ井戸で、ごはんを焚いておられたと聞いております。
私達は、六十六部坪井清遊師、壺井堂庵主井上孝順尼、先祖(おやたち)の
意をくみ、今日に至っております。
史蹟 壷井地蔵
名水 壺井
井戸の上に地蔵様があった。
これが壺井地蔵であろうか。
さらに周りにも地蔵がたくさんあった。
なんと井戸の水は枯れてました…。
違うところに湧いているんでしょうか?
西土居処刑場跡(西の京処刑場)の付近にあり、
末期の水(処刑される前に飲むこの世で最期の水)を
罪人に与えていた。
壺井地蔵の動画はこちら
京都府心霊スポット