廃鉱山Mはかなり昔から存在した鉱山であった。
写真は坑廃水処理場
実は今回ここで働いていた人の家族の方に
案内をしてもらうことができた。
この石垣が続く場所の上に鉱山職員の
住宅があったという。
現在は草木が生い茂り、住宅があった跡はかけらもない。
急に広い場所に出た。
ここが鉱山の病院があった場所だという。
取り壊されて更地になっているが広さから
割と大きな病院だったのではないだろうか。
さらに進むと石碑がある。
中国人殉難者慰霊碑。
第二次世界大戦の頃、日本は中国から
労働力を確保しようと強制連行を行った。
そしてこの鉱山にも約250名程が強制労働を強いられた。
一年と経たずに約70名が劣悪な栄養・労働環境の中、
亡くなった。
坑道の跡。
ここはコンクリートで塞がれている。
廃鉱山の中にはこういった坑道の跡が見られる。
これはかなり古い坑道で中で落盤が起っているが、
人がゴミを捨てていたようだ…
鉱山の関連施設と思われるものも軒並み
崩壊寸前で危険な状態である。