魁塚(相楽塚)矢木崎処刑場跡
史跡 魁塚
ここは赤報隊隊長相楽総三以下幹部八士その他の墓である。
慶応4年正月江戸城総攻撃のために出発した
東山道総督軍先鋒響導の赤報隊は、租税半減の
旗印をたてて進んだが朝議一変その他によって
賊視され明治3年同志によって墓がつくられた。
名を「魁塚」として祭られた。
以来地元では祭りを絶やさず昭和御大典には
御贈位の恩典に浴した草奔として維新史の
上に大きく輝く人々である。
慶応4年、ここで赤報隊一番隊8名が斬首された。
魁塚。
相楽総三、その他幹部の墓もここにある。
中央が相良総三他斬首になった8人の墓
左右は五位が贈位された記念碑のようである。
魁塚碑。
明治元年3月3日
ここに八つの獄門首が晒された。
高札が一枚
「相楽総三以下赤報隊は軍令違反のかどをもって
断罪に処す。東山道軍総監」