西坂公園。日本二十六聖人の殉教地としても知られている。
江戸時代にこの辺りに「西坂処刑場」があったとされている。
だが、実際の西坂処刑場はもう少し場所が違うようである。
西坂公園を少し北に進むと西坂町地蔵堂がある。
地蔵堂内部。
案内板より
西坂地蔵尊の由来
寛文8年(1662年)此処に安置す
椛島町民が大波止の海中から地蔵尊を拾い上げた。
それを井樋の口に在る聖徳寺に納める為
人夫が運搬して此処に来た時急に重くなり
動かせなくなったのでそこに置いて帰った。
夜に地蔵尊が夢枕に立ち西坂に安置せよとの
お告げがあったので此処に安置した。
昭和62年より320年前である。
西坂供養塔の由来
この付近は1600年より明治まで長崎刑場として
千人塚があった。
元禄7年(1694年)処刑者の供養のため建立した。
昭和62年より293年前である。
昭和62年6月吉日320年祭を記念してその由来を記す
案内板の通りこの西坂地蔵堂の傍らに
「南無妙法蓮華経」のヒゲ題目があり、
付近に処刑場があったことを示している。
実はヒゲ題目のある場所というのは
実際の処刑場の入り口付近に設置することが多い。
江戸時代、死罪となった罪人の供養は
ほとんど禁じられており(罪状による)、
こうした慰霊碑を処刑場内部に作ることはできなかった。
実際の西坂刑場があった場所は
上記の写真の場所の付近という説もある。
実は刑場を示していた石碑は無くなっていた。
右端に石灯篭のようなものだけ残っている。