千人塚(生月)
住宅街の一角に神社のような場所があります。
盛られた土の上には祠が建っています。
史跡 千人塚
千人塚
正保2年(1645)平戸藩は領内に押役を置き、
その下に宗門目付、下目付、宗門改め役を命じ、
切支丹信徒の取りしまりに当らせた。
これまで、指導的立ち場にあった信者の主な者は
処刑されたが、全般的には余り影響はなかった。
その後踏み絵が行われる等、世情はきびしくなっていった。
このようなとき、平戸藩は壱岐にいた藩臣、
熊沢作右エ門に生月の切支丹一掃を命じた。
熊沢作右エ門は部下を引き連れ、生月に渡り
山田・舘浦の信者を召し捕り、舘浦白浜において
処刑した。
その数の多いのも島はじまって以来のことで
白浜の砂は血で赤く染まったといわれている。
島の人達は、これらの殉教者を此の地に葬り、
盛り土の上に一本の松を植えた。
殉教者が多かったので千人塚と称された。
植えられた松は後世枝や根を張り立派な老松になったので
千人松と呼ばれたが、いまは、朽ち果ててない。
石祠。
割と近世に改修された跡が見える。
背後の松は千人松を意識して植えられたと思われる。
石祠の前にくるとここが丸く盛り土を
された場所だとわかる。
こに地に処刑された島民の遺体が眠っていたのか。
地元の子供はここに近寄らないという話もある。
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