尼瀬獄門跡
当町は元和2年(1616年)徳川幕府の直轄地となり、
代官所が置かれた
附属機関として牢屋もつくられた
ここは極刑の執行をする刑場であった
おそらくは幾千もの斬首がなされたことであろう
特に重罪人の生首は浜辺のほうにさらされたと
伝えられている
供養塔は天明年間の建立であり数体の地蔵尊と老榎は
当時を偲ばせるものがある
地元では現在も毎年9月1日に供養祭を行っている。
獄門跡の文字が赤で…
そばの石碑は南無妙法蓮華経のヒゲ題目
かなり大きな石塔
一番上の部分は下に落ちてしまっている
地蔵堂。
この獄門跡にはこうした地蔵堂が三か所あった。
草原の一角。
ここがおそらく獄門跡ではないかと…。
石塔と石碑・石仏が並んでいる。
石碑は倒れてしまっているものもある。
よく見ると首のない地蔵だったり、
供養碑であったであろう石だったり…。
一番奥にあった地蔵堂。
さらに奥に行くと墓場があり、その手前には
供養塔が…。おそらくは無縁者の供養塔かと。