中山旧道を歩くと看板があります。
中山供養塔(新獄門場跡)
中山街道は、江戸時代の寛永5年(1628)頃
開かれ、鉱山都市相川へ来る人や牛馬の往来で
にぎわった。人通りの多いところに獄門場が
おかれ、処刑者をさえあし、見せしめとした。
南無妙法蓮華経と刻まれた供養塔は、
九州小倉の人が、天明8年(1788)に建てた。
塔の建立には鹿伏の若者が協力した。
新獄門場
近世中期に海士町から現在地に移転した、
獄門の晒場跡である。
天明8年(1788)に、九州小倉の住人が
供養のために建立した。古老の語り伝えでは、
獄門首が晒されると、人々は目をつむって
脇を走り抜けたという。
南無妙法蓮華経の供養塔
そばにある卒塔婆には
「南無妙法蓮華経 古刑場跡に埋葬一切諸霊…」
とある。
晒された首は三日三晩晒されると打ち捨て…
もしかしたらこの辺りを掘ると…