今泉河原処刑場跡。
矢代川の流れる橋のたもとにそれがある。
高田藩の処刑場であった。
この処刑場が歴史でクローズアップされたのは
「越後質地騒動」である。
高田藩は農民を騙して出頭させ、約100人を捕縛。
江戸での牢死者なども含め、牢死者55人をだし、
磔7人・獄門11人・死罪12人。
民家の植樹に埋もれてしまいそうな地蔵堂。
これが今泉河原処刑場の供養の地蔵である。
地蔵は三体。
地蔵堂には「延命地蔵」とあった。
真ん中の石地蔵は古く、顔の表情が落ちてしまっている。
向かって左側の石地蔵は宝珠を抱いているようだ。
右の石地蔵は手を合わせている。
首は補修の痕が見て取れる。
道路を渡った向い側には草に覆われた祠もあった。
こちらも関係があるのだろうか?