首斬り地蔵
以前はこの前の府道(通称 信長街道)に沿った
場所に祀られていましたが、道路や水路の改修工事のために
現在地へ移されました。
この首斬り地蔵の由来について、以下のような言い伝えがあります。
豊臣秀吉が天正13年(1585)に紀州の根来寺を攻めた時、
波有手(ここより1.5km程北西に所在する地域)の
道弘寺をはじめとするいくつかの寺院の僧達が
秀吉に反抗し、ことごとく首を斬られました。
村人達はあまりの無残さに斬られた僧達を厚く葬り、
その上に石地蔵をたてて冥福を祈ったそうです。
周辺の石田地区では、この地蔵を大切に祀れば
村が繁栄すると言い伝えられています。
現在でも近郷近在を問わず参詣の人が多く
線香の火が絶えたことがありません。
祠がありました。
左側に首のない地蔵や石地蔵がたくさんありました。
首のある地蔵でもただの丸石を置いた地蔵もありました。
犠牲になった僧の数だけあるのか、
付近にあった石地蔵をまとめて供養したのか…。