佐賀県相知町
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こ岸岳の山頂(標高320メートル)に上松浦党波多氏の城跡がある。
お万はこの波多氏に仕えた御殿女中であったと伝えられている。
「相知町史」によれば、お万はお宝の重宝の皿を預かっていた時の
家老某はお万の美しい容姿に懸想(求愛)したが、
思いが叶わないのでこの皿の一枚を隠した。
そしてその落ち度を責めて殺したという。
歌舞伎で知られる「番町皿屋敷のお菊」はお万の伝説から
作られたといわれている。
お万塚(墓)は、岸岳農免道路工事に伴って現位置に
改修移転されたもので、この時副葬されていた茶碗や皿が出土した。
これらは岸岳山麓にあった古窯七窯のいずれかで
焼かれたと思われる16世紀頃の唐津焼でお万の伝説と時代があっている。
相知町教育委員会
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これが農道脇にあったお万塚
現在世話をする人も少ないようだ。
掲示板にあったお万塚からの出土品の絵。
実は相知町に問い合わせ、実物を拝見したのだが撮影許可が下りなかった。
金額にすると大変高額のものであるらしい。
一般公開に関してはほぼ未定。
どうして全国各地には「皿屋敷伝説」が残るのか。
それは武家社会で虐げられた女中達の話はあまりにも多かったからである。
「番町皿屋敷」のような武士が女中を殺すという事件は
かつてあちこちにあったのだ。