スーサイドクリフ(SUICIDE CLIFF)
ここはサイパン戦の最後に悲劇が起った場所です。
戦闘の末に日本軍の残兵は、何百人もの民間人と共に、
侵攻してくるアメリカ兵士や海兵隊員によって北に追いやられました。
行き場を失ったかれらは、もし捕らわれたならば、
アメリカ人に虐待され殺されるよと信じ、たくさんの人が自決しました。
ある人は自分自身に銃を向け、または手榴弾を使い、
その他の人達は、この断崖或いは
北側の湾岸沿いにあるバンザイクリフから飛び込み自決しました。
日本軍がサイパンを防衛する為に前線基地としてマッピポイントに
造成した滑走路は未完成で米軍による島の占領後、日本を攻撃する為の
重要な飛行場として建設されました。1945年の航空写真を見ると、
この島がアメリカ軍によって占領されたのち、2~3か月の間に
大規模な拡張工事が行われたのがよくわかります、
眼下に広がる海岸線沿いの平野に飛行場がありました。
岩で囲った防壁で大砲を高い位置に設置し飛行場を擁護していました。
この地域で行われた飛行場建設の形跡はわずかしか残っていません。
マッピポイントにあるスーサイドクリフは、
1985年にアメリカ国立史跡登録されました。
この登録にはバンザイクリフと平和記念碑も含まれております。
今日、多くの訪問者はここで亡くなった方々に哀悼の意を表する為に
慰霊碑を作りお祈りしています。
海に面したバンザイクリフに対して
スーサイドクリフは陸地の崖で、
飛び降りると下はジャングルである。
慰霊像の広場
なんと処刑場跡によくある
南無妙法蓮華経のヒゲ題目があった。
サイパン心霊スポット
心霊スポット朱い塚-あかいつか-