焙烙地蔵
焙烙地蔵
昭和53年3月29日指定
むかし、現在の利根川に関所が設けられ、
人の通行をきびしく取り締まっていた時代、関所を
通らないで渡った者、あるいは、渡ろうとくわだてて
事前に発見された者は、関所破りの重罪人として
火あぶりの刑に処せられたと伝えられている。
処刑場も地蔵尊のある現在の場所であったという。
こうした多数の処刑者を憐れみ、火あぶりに
なぞらえて、その後土地の人が供養のため
焙烙地蔵として祭ったものである。
今も焙烙に名前を書き入れ奉納されているのが
見うけられる。
またエボ地蔵ともいわれ、あげた線香の灰を
エボにつけると治る、といい伝えられている。
道路に面しているものの、民家の庭先にある…
お地蔵様。
穏やかな顔をしています。
これが焙烙。ほうろくと読む。
素焼きの土鍋のことらしい。
こういう処刑場をきちんと供養されているのを見ると
とても安心します。