仕置場跡
徳川家康が天下を統一し、征夷大将軍となり(1603年)江戸に幕府を置き、
その直轄地に代官を置いた折、家康の旗本であった多羅尾光太の子
光好が、信楽代官所の初代代官に命ぜられて以来、明治維新まで
世襲代官として代々多羅尾氏が代官を勤めてきた。
その代官所の処刑場がこの地である。
処刑された日は12月20日で、
牢屋からだされた罪人は、裸馬に乗せられ
この地で処刑されたと伝えられている。
一本道を進むと先に二股に別れている。
左側の道は「これより道なし」
右側は「史跡 仕置場 ここです→」
別れ道の場所から仕置場跡付近を見てみる。
二基の石碑が見える。
道を下りると左側に小さなプレハブ小屋が。
プレハブ小屋内にも先ほどと同じ内容の看板がある。
少し開けた場所があり、そこに二基の供養碑があった。
奥の石碑は「南無妙法蓮華経」のヒゲ題目。
もう一つは「南無阿弥陀仏」の石碑。
付近にはなにか供養した跡が…
ここは地元では首切り場として有名なようだ。
首切り場という話だが、もしかしたら磔の方かもしれない