足柄之関処刑場跡

足柄之関処刑場跡 心霊スポット
足柄之関処刑場跡

足柄之関処刑場跡1
静岡県と神奈川県の県境にある足柄峠。
ここは足柄の関所があった場所である。
足柄之関処刑場跡2
首供養塚
凶悪な盗賊や手形(通行許可書)がなくて
足柄の関所破りをした人達を処刑し
「さらし首」にした場所でのちに供養塔を建て弔った。
尚、法篋塔は室町時代の作と伝えられている。
足柄之関処刑場跡3
首がありませんが、石仏(お地蔵様?)
さながら首切り地蔵といった感じでしょうか。
足柄之関処刑場跡4
法篋塔は室町時代の作
修復の痕もありますね。
足柄之関処刑場跡5
足柄之関跡
おじぎ石
旅人がこの石に手をついて
おじぎをし、手形を差し出した
足柄之関処刑場跡6
古代の足柄の関
足柄の関は昌泰2年(899)、足柄坂に出没する
強盗団、シュウ馬の党を取り締まるために設けられた。
関の通行には相模国の国司の発行する過所(通行手形)が
必要だった。関の設置された場所や規模、関の停廃の
時期などは分かっていない。
「源平盛衰記」に治承4年(1180)のこととして、
土屋宗遠が甲斐に越える時「見レハ峠二仮屋打テ、(中略)
夜半ノ事ナレハ、関守睡テ驚カス」と見える。
また、鎌倉時代の歌人明日香井雅経が、「とまるべき 
せきやはうちもあらはにて嵐ははげしあしがらの山」
(「明日香井和歌集」)と詠んでいることから、
源平の動乱の時代に、足柄峠に臨時の関が設けられ、
鎌倉時代初期にはその残骸が残っていたことがわかる。
峠付近の路傍から採取された四千年前の縄文土器片が
語るように、この峠道の歴史は古く、鎌倉時代に箱根道が
開かれるまでは官道・公道として利用され、
東海道最大の難所として有名であった。
また、歌枕として関・峠ともに、多くの歌に詠まれている。
この関は、昭和60年、黒沢明監督の映画「乱」の撮影で
使われた城門のセットを足柄の関伝承地へ移築したものである。
足柄之関処刑場跡7
足柄…と言えば足柄山の金太郎ですね。
足柄之関処刑場跡8
しかし金太郎のおひざ元に処刑場があったとは…。


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