海防の松(はりつけの松)
江戸時代中期海防問題がにわかにたかまり
寛政5年(1793)幕府は沿岸緒藩に海防を
命じるとともに老中松平定信は自ら伊豆の海岸を巡視した
定信の一行200名は三島から天城を越え
3月14日片瀬に宿泊した。
この巡視の結果伊豆相模の海岸に海防の為の
松を植える様指示した。
これらは海上から陸の村々や
防御の様子が見えないようにする為のもので
当時で40年生くらいのかなり大きな松を植えたようである。
今に残る木の年輪は250年前後を数えることができる。
片瀬、白田付近の海岸には明治初期に数百本の松があったと
言われているが片瀬区の手厚い保護にもかかわらず
今は数本残るだけである。
尚この松は別名「はりつけの松」と云われ叶わぬ恋の為
お寺に火を放った若い男女がはりつけにされたと言い伝えがある。
看板の奥に進むと松が数本確認できるが、
まだ若い松のようだ。
さらに奥に開けた場所があり、そこに古木の松がある。
しめ縄もあり、こちらが磔の松だろう。
砂浜を臨む磔の松。
通常は磔台に縛って磔の刑にするが、
松に縛って磔を行ったという伝説もあるとの事
その松も明治時代に病害でほとんどが枯死。
江戸時代の中期、弥之助という男が寺に
放火した罪で、この木に縛られ
処刑されたと伝えられる