大中寺の由来
大中寺は久寿年間(西暦1154年)開創され、はじめ真言宗の
寺であったが、荒廃していたのを延徳元年(西暦1489年)
快庵妙慶禅師が曹洞宗の寺として再興され今日に至っているものである。
上杉謙信がこの寺に縁故のあった関係かた、当時焼失していた七堂
伽藍(寺のいろいろな建物)を上杉氏が寄進、また上杉北条の両氏が
この寺で和を結んだことも有名な史実である。
江戸時代、九世柏堂和尚は徳川家康の信任厚く寺領百石の御朱印を
賜ったほか山林の寄進も受けその後、江戸末期まで、この寺は
天かの曹洞宗寺院の管理に当る三つの寺院(これを関三刹という)
の筆頭の寺として天下に号令する地位にあった。
十一世宗演和尚の頃には幕府から曹洞宗天下大僧録に任ぜられ
太平山大中禅官寺と号して、江戸品川に天暁院という宿所を
置いて事務をとり、宮中に参内して禅師号を賜っていた。
なお、この寺の縁起は、今昔物語、雨月物語などの青頭巾の
話として名高く、境内にある七不思議の伝説もまた
広く知られているところである。
油坂
ある学僧が燈火欲しさに本堂の燈明の
油を盗んで追われこの階段からころげ落ちたのが
因で死んでからこの階段を上下すると禍にあうという。
東山一口拍子木
寺の東の方のある山で拍子木の音が
一声聞こえるとかならず寺に
異変が起ると伝えられており、その音は
住職にだけしか聞こえないという。
馬首の井戸
土地の豪族、晃石太郎が戦いに敗れて寺に逃げ込んだ時、
かくまってくれないのを恨み、
馬の首を斬って井戸に投げ入れたが
後になって井戸の中からいななきが聞こえたという
中は完全に埋まってますね…
不開の雪隠
土地の豪族、晃石太郎の妻が敵に追われて
この雪隠の中に逃げこんで自殺してから
というもの、開けられたことがないと
いわれている。
枕返しの間
ある旅人が寺に一夜の宿を乞い
この部屋で本尊のほうに足を向けて寝たところ、
翌朝目が覚めると頭が本尊のほうに向いていたという。
不断のかまど
ある修行僧が、かまどの中に入って居眠りをしていると、
それとも知らず寺男が火をたきつけたため
焼け死んでしまった。
それ以来このかまどには、火を絶やさなくなった。
この日は開いてませんでした…
根なしの藤
大中寺の開祖、快庵妙慶禅師が鬼坊主の霊を葬うため、
墓標としてさした杖から
成長したと言われる藤の古木
上田秋成「雨月物語」青頭巾の話
これで七不思議完了です!
当日はアジサイ祭りで結構観光客いました…
栃木県心霊スポット