「四面塔尊の由来」
今から約280年前の享保の頃(徳川幕府8代将軍吉宗の頃)
高田雑司ケ谷と板橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道付近
(現在の西武線池袋駅東口)は、
夕方になると追いはぎや辻斬が出没し、夜はその難を逃れる為、
通行する人が途絶えました。享保6年の夏、
一晩で17名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、
池袋村民有志64人が雑司ケ谷鬼子女神威光山法明寺第二十二世日相上人に
供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を
建立して無縁仏の霊を供養しました。
正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には、南方高田雑司ケ谷道が記され、
道標としても使われました。この塔は四面塔尊と称され、
以来、法華経の功徳により災難は解消されました。
平成12年9月吉日
池袋四面塔尊奉賛会
辻斬りというのは今で言う通り魔。
こちらが本尊。
こちらは四面塔稲荷
こちらは六地蔵
JR線池袋駅の北口から、PARCOに沿って歩き、交番の先を進んでいくと、
線路沿いに綺麗な公園があります。
そこにこの四面塔はあります。