東京都内に霞ノ関南木戸柵跡の碑
多摩市にはかつて霞ノ関という関所が存在した。
関所で関所破りをしたものは「磔刑」となり、
たいていが関所近くの場所にて処刑が行われた。
ここ熊野神社から観音寺までがその霞ノ関があった場所とされている。
霞ノ関南木戸柵跡
鎌倉時代の建暦3年(1213)に
鎌倉街道に設けられた木柵の関で、
街道沿いに設置された監視所の跡と
考えられる。
なお、中世の関所跡として
既に地名にも関戸と称せられ歴史上
貴重な史跡である。
柵跡地は熊野神社境内参道に平行し、
地表下30~45センチのところに、
およそ45センチの間隔に丸柱(直径25センチ)
の痕跡16があり、道路の東側にも
6、7ヶ所丸柱の跡が認められる。
観音寺
裏手に処刑された人か、鎌倉時代の戦の供養碑かの
板碑が存在していたが、現在は教育委員会に預けられている。
付近にある関戸古戦場跡のお地蔵様