文京区大塚公園
この公園の一角に大塚子育て地蔵尊がある。
子育開運
大塚地蔵尊
庚申塔の由来
文字塔
延宝2年(1674年)
奉造立庚申供養ニ世安楽修
地蔵
正面三猿寛文5年(1665年)
石佛一尊ニ世為安楽庚申供養成就修施工
大日如来像
正面三猿 年代不詳
奉造立庚申供養ニ世安楽所施主19名
観音
正面三猿梵字有り延宝6年8月大吉日(1678年)
奉造立庚申供養ニ世安楽成施主26名
右の庚申供養塔は大塚辻町(現 大塚五丁目九番)
路傍にそれぞれ三百年以前に往時の里人が豊作を祈り
二世安楽の祈願をこめて奉造立して供養を続けられ
幾代かの世代に守られて今日に及んでいる。
昭和20年不幸戦火に被災しその後大塚公園に移された。
平成8年12月吉日
大塚上辻地蔵講(新大塚駅前商店会)
と由来の看板が示されている。
「大江戸暗黒街八百八町の犯罪と刑罰」 によると
大塚公園に元々石地蔵があり、かつてそこが処刑場であると伝えられていた。
昭和に入り、巣鴨監獄の右端にあった石地蔵(ここも処刑場跡と伝えられていた)を
移転してこの大塚公園に奉ったとある。
子育て地蔵尊以外の地蔵で処刑場跡にあった地蔵も混ざっているようだ。
江戸時代以前の処刑場に関してははっきりとした史料が残っておらず、
そう伝わっている「伝 処刑場跡」が多い。
ただ、もし巣鴨監獄(巣鴨プリズン)にあった石地蔵が
そこが処刑場であった事を示していたならば、江戸時代以前に処刑場で
昭和に入って再び処刑場になったという可能性がある。
子育て地蔵尊