為朝神社

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為朝神社
為朝神社
平安時代末期の武将、源為朝は、保元の乱(1156)で
父為義と崇徳上皇側について敗れ、18才で大島に流された。
その後、伊豆の島々に渡り、これを従えたが、
国司の追討を受けて大島(一説では八丈小島)で
果てたと伝えられている。
言い伝えによると、新島に渡った為朝は、
羽伏浦から雌雄の雉子に案内され、島の名主、
土屋平石衛門家に入った。滞在中、娘
丹千代との間に一児をもうけ、直筆の画像や、
差科一刀を形見の品とし、前田七兵衛持船の
廻船天神丸で、その年の9月13日に八丈島に渡海した。
同家の末裔青沼家では、この日を為朝の祭日と定め、
雌雄の剥製雉子、画像、神息(刀)等を掲げ、
今もなお祭祀を続けている。
為朝神社2
弓矢の名士であったという為朝。
為朝神社3
神社の裏には石の祠もあった。
尚、為朝は追討の際に自害したとあるが、
これが日本最初の切腹であったとされている。

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