常盤塚

常盤塚 心霊スポット
常盤塚

常盤塚
駒留八幡神社
常盤塚2
ここの弁財天を奉っているそばにある石柱がある。
写真右下。
常盤塚3
常盤橋
この橋があった場所こそ常盤姫が自害した場所であった。
現在は川がなくなり、橋の一部だけここに残されている。
常盤塚4
そして駒留八幡神社の近くに常盤塚がある。
世田谷城主吉良頼康(永禄4年・1561年没とされる)の
側室で、奥沢城主大平出羽守の女(むすめ)常盤を
埋葬した塚とされる。
伝承によれば、頼康の寵を一身にあつめた常盤は
他の側室にそねまれ、城を逃れたが、この近くで
殺害されてここに葬られた。
後に訴えが虚偽であることを知った頼康は、
これを悔やみ、駒留八幡神社に、常盤を弁財天として、
常盤の胎児を若宮八幡としてまつり、
また虚偽の訴えをした側室12人を処刑した。
人々は、常盤塚と12人の側室の塚を「十三塚」と呼び
信仰の対象としてきたが現存するものはこの常盤塚だけである。
常盤塚5
薄幸の佳人常盤の方ここに眠る
天文動乱の昔南関東の覇者世田谷城主7代
吉良頼康は重臣奥沢城主大平出羽守の息女
常盤の方をこの上なく寵愛していたが
他の側室達の偽訴を信じてゆくなりこれを
退けんとした。常盤の方は早くもこれを察して
城を脱出したが到底逃れがたきを悟り
君をおきて仇し心はなけれとも
浮名とる川 沈みはてけり
窃寵美麗たぐいなしとうたわれ鷺草にも比すべき
麗人も無実を訴えたこの悲痛な辞世を残して
あわれ19才の花の命を胎内の若子諸共に
田の面の露と消えはてたのである
後にこれは冤罪であることが明らかとなり
頼康は後悔のほぞをかみ、
遂に八幡の旧地に若子を相殿として祀る。
駒留八幡がそれである。
時人また非業の最期を遂げた常盤の方を
憐れみこの地に一塚を築き語りつぎいい伝え
連綿としてこれを守り続けたが年月の久しき
今は顧みるものも少く塚も朽ち果てて見るかげもない
有志これを憂い相謀って資を募りこれを復興して
その霊が鎮まらんことを祈るものである。
春風秋雨4百余年歴史をこえた伝承の息吹が
ここに生きている心地がするのである
願わくは常盤の霊よ 安かれ
常盤姫はだいぶ祟ったという。
側室(玉ノ井ほか)は怪異が起こったことで呼ばれた祈祷師に
常盤姫を陥れたことを当てられ、半狂乱となったとか。
頼康は側室達を水責めにして陰謀を白状させ、若林村にて処刑。
12人(13人?)を葬った塚を十三塚と呼んだ。
常盤姫が自害したとき、子供をみごもっていた。

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