鳥取藩処刑場跡

鳥取藩処刑場跡 心霊スポット
鳥取藩処刑場跡

首切り地蔵の由来
往昔鳥取城下から米子に通じた伯耆街道の千代川の土手を
越えた右の寄り付きに、藩の斬刑場があった。
縦横凡そ30メートルの芝生であった。
人切り地蔵はこの刑場近くにまつられた
地蔵尊という意味のお名前である。
刑場跡は今のどの位置に当るのか明らかではないが、
この地蔵尊から遠く隔っていなかった事は違いない。
地蔵尊は初め木造であったのが幾度か作り替えられ、
今の石像となったのは約223年前の明和7年であろう。
この刑場で処刑された人数は明確ではないが、
年間に最も処刑者の多かった元文5年、約200年前には
19名の人名が千代川の露と消えている。
中でも12名はこの年の8月に処刑された。
地蔵尊の傍らに建てられた題目碑に「元文五申八月一日」と
刻まれているのはその供養碑であろう。
19名は有名な元文百姓一揆の指導者たちで
八東郡東村松田勘右衛門の他、因幡、伯耆の出身者であった。
地蔵尊の最初の造立は元文一揆より35年前の宝永2年と
思われるが、この一揆の犠牲者への同情から
元文年間の造立という伝承も生まれ、
見殺し地蔵という別称で呼ばれた事もある。
古くから多くの受刑者の魂を済度したこの地蔵尊の
霊験はあらたかで今に人々の尊信はあつい。

鳥取藩処刑場跡1
現在は住宅街の端の一角に首切り地蔵が祀られている。
鳥取藩処刑場跡2
地蔵堂。
鳥取藩処刑場跡3
中心がおそらく首切り地蔵だが、
多数の地蔵が祀られている。
鳥取藩処刑場跡4
地蔵堂の前には
「南無阿弥陀佛死縁法界」という念仏碑。
鳥取藩処刑場跡5
こちらは欠けた南無妙法蓮華経の髭題目碑が。
鳥取藩処刑場跡6
地蔵堂の裏手が神社になっていた。
関連があるのだろうか…。
鳥取藩処刑場跡7
丁度地蔵堂の裏。
鳥取藩処刑場跡8
みると五輪塔や古い石碑などが多数。
おそらく所以のわからない石碑石塔を
ここに集めたのではないだろうか…。

鳥取県心霊スポット

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