八軒屋処刑場跡

八軒屋処刑場跡 心霊スポット
八軒屋処刑場跡

八軒屋処刑場跡
八軒屋処刑場跡。
日蓮宗 法輪山 本覚寺
八軒屋処刑場跡2
寺の一角に無縁塔がある。
八軒屋処刑場跡3
無縁塔由来
元八軒屋(今の刑務所あたり)に
仕置場の刑場で果の廿日(12月20日)
罪人が断罪に処せられたが無実の人々も
かなり処刑されたと伝えられて居る。
当山住職が人々の無縁となるをなげき
奉行の許しを得て供養塔を建てた。
以来此の前で処刑されました
明治に刑場廃止となり此の塔を
当山にうつし毎年果の廿日に供養している。
(寺の看板より)
「南無妙法蓮華経法界
八巳亥年四月二十八日、
本覚寺弟子、妙解日修建之」
と刻まれているそうです。
安永年間、この刑場で処刑された尼僧を供養する為に
本覚寺という寺の妙解日修という僧が建てたもの。
八軒屋処刑場跡4
吉田大明神由来
紀州藩江戸勘定組頭吉田庄太夫
熊野村替騒動に一命を賭して
農民の要請を入れ領民を守った。
民主政治の先駆者である
安政5年江戸に於いて自刃す。
八軒屋処刑場跡5
八軒屋処刑場跡は和歌山刑務所の国道挟んだ向かいの
辺りであったと伝えられているが、現在は住宅などが並んでいる。
供養塔があった時はその場所もわかったが、現在では難しい。
数十年前までは畑があった場所のようだ。
この処刑場跡の特筆するべき点は以下のことである。
八軒屋処刑場廃止の後、供養塔はそのままそこに残されたが、
交通事故がその周辺で相次いだため、祟りではないか?
と、本覚寺に移された。
鳥居義伝という住職の三代前の住職の時代。
本覚寺に移されてからは交通事故が減ったとか。
その後、地元住民から元の場所に戻したいという話もあったが、
当時の住職が断ったという。
供養塔が祟った?というエピソードは珍しい。
※八軒屋処刑場跡が刑務所付近ではなく、
別場所であったという話もあるそうです。
江戸時代罪人の供養は基本的に禁止なため、
供養塔建立の由来を踏まえて考えると
もしかしたら刑場から少し離れた場所に供養塔を
建てたのかもしれませんね。


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