山口県下関市
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寿永4年3月24日源平最後の戦が壇ノ浦でくりひろげられた。
始めは潮の流れの関係もあり平家側に有利であった。
しかし源氏は始めから計画がたてられていた。
海峡の潮の流れが源氏側に不利であったがやがて潮が逆に流れ、
この時に決着をつけようとしていた。
やがて両軍の船が近づき矢が飛び、矢が当たり海に落ちる者、
熊手を使ってひっかき落す者、敵、味方入りまじっての激戦が続き、
おもい兜や武具をつけているので泳ぐことができず海に沈んでいった。
戦っているうちに潮の流れが変り始め源氏はこの時とばかり、
ほら貝を吹き、鐘を鳴らし今こそ平家を倒せと勇気をふるいおこし平家の船を追っかけた。
平家側は潮の流れが変わったので船を進めることができず、今や勝敗は決った。
平家側のある者は捕らわれ、また海に沈み傷を受け岸にたどりついたものもあった。
そのうち、一人平家の武将は肩と足に矢を受け海に落ちたが命がけで泳ぎ岸にたどり着いた。
その武将は咽喉がカラカラに渇いていた。
ふとみると山裾から海岸線におりた所に、わずかな水溜りがあった。
武将は痛む体をひきづって水溜りに近づき水を呑んだ。
武将にとっては命がけの水であった。
夢中になって二度目を口にしたところ真水が海水に変わっていた。
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今もその一すくいだけ真水であった水溜りが祀られている。
赤い鳥居
赤は平家の旗印である。
鳥居はもともと赤いものが多いがここでは更に鮮やかに見える。
井戸のようにしてあったが開かないよう塞いであった。残念!
国道沿いの海に面する
案内板のそばにあった平家の家紋