山口県下関市
引接寺
看板によると
————————————————–
下関市指定文化財
引接寺三門
昭和58年5月26日
所在の場所 下関市中之町11番9号
引接寺は、浄土宗寺院で当初門司区にあったが、
下関の亀山神社地に移転したので山号を関亀山と称した。
永禄三年(1560)に忠誉一徳栄林上人がこの地に建立した。
その後、慶長三年(1598)小早川隆景公の遺言により
縁族藤堂佐波守が大施主となり、隆景公の菩提寺として再興し
面目を一新した。
現在は当時の建物は焼失して残ってないが、本堂の花崗岩の
石積基壇の形式から考えると中国の影響が強い寺院建築であったと思われる。
この三門は、明和6年(1769)毛利匡満により再建されたものであるが、
花崗岩四半敷の基壇は慶長再建のままであると考えられる。
従って雄大な規模の四脚門や、西側に脇門をつけた珍しい形式を受けついだものと
考えられる。
また、門の内部を二手先の組物を使い「竜を彫り込んだ」鏡天井とした例も希少で
江戸時代後期の建築としては意匠的にも大変優れた三門である。
平成12年7月 下関市教育委員会
————————————————–
また、彫り物の竜は昔人を襲ったのだとか。
勇敢な武士が夜中に切りつけ、血の跡を辿るとこの三門にたどり着いたのだとか。
それほど見事な彫り物であったということだろうか。