一字一石供養塔
道路沿いの民家そばにある畑にぽつんと
祠が見て取れます。
こちらが一字一石供養塔
かつて処刑場があり、その供養の為一字一石を
現在の供養塔の裏手の井戸に入れていたという。
隣は供養のための六地蔵と思われる。
比較的新しく建立し直したと思われる。
そしてこの真ん中の石碑が一字一石供養塔。
文字は摩耗して読み取れない。
付近には川石が敷き詰められている。
一字一石だったのだろうか。
真ん中には首なし地蔵があった。
その昔藩政時代に、罪人を処刑する刑場が
あったとことから、ここは「おしおき場」と呼ばれていたようです。
またこの付近に明治の初め頃まで焼き場があったといわれ、
この辺一帯は人家も少なく閑散とした場所であったことが
想像されます。
「沢内年代記」によれば、盗みをした者、
あるいは欅の大木を盗伐した者などが
処刑されたことが記されていますが、
それがこの場所であろうとも思われます。
塔の高さは1メートル余り、ほぼ扁平な形をしており、
その表面に刻字が見られますが、
風化が激しく明確に読み取れない状態です。
塔の横に六地蔵も並んでいますが、
かつてがその後方に井戸がありました。
仏となった罪人の供養にと平たい小石に経文の一文字を
墨で書き、古井戸に投げ込む慣わしがあったもので、
このことから一字一石供養塔といわれています。
今も地蔵盆の宵宮の日に供養祭と称し、
近隣の人たちによって供物を捧げ、拝む慣わしが続いています。
市の資料から抜粋