かくれキリシタンと蚕飼山
こちらの裏手の山にかつてキリシタンが殺された場所がある。
切捨場霊場
海無沢三経塚から近い山の中腹で、隠れ切支丹120名が、手と足に
五寸釘を打たれ、磔・打首等の処刑が行われたと伝わる。
この場所から下にあった桐木場(切捨場)屋敷の人達が代々
申し伝えにより密かに供養していたが、昭和57年に北海道へ
移住することになり、隣家の近親者に、切捨場霊場だったことが
初めて明かされ、世に知られるようになった。
三段の石段を形造る川石の並べ方はその当時のままという。
山道を上がっていきます。
山道の先には階段があり、とうとう到着しました。
階段を上がりきったその場所は開けています。
そして供養碑のような石が並びます。
切捨場霊場
キリシタンの大量の血潮を吸ったと伝えられる。
桐木場屋敷の人たちが代々の申し伝えにより秘かに
供養していたが同家が昭和57年に北海道に移住する際
隣家の近親者に始めて明かされ世に知られる様になった。
三段の石段を形造る川石の並べ方は当時のまゝである。
十字架は昭和60年に管理者個人で隣人工人に依頼して
作製建立したものである。
十字架とマリア像がありました。
こちらが作製依頼をしたものでしょうか。
こちらは木につけられたレリーフ。