なんとも珍しい地蔵堂がある。
交通量の多い県道のすぐそばにあるこの地蔵堂には…
火あぶり地蔵尊
とある。
石碑の裏の説明によると
武州足立郡谷古田領瀬崎村地蔵堂縁起
当、地蔵尊は、伝説によれば昔、
千住掃部落宿の孝行娘が瀬崎の大尽の
家で奉公をしていた。
ところが、母親の大病を知っても帰宅を許されず、
思い悩みその家に放火、その罪で火焙りの刑となった。
村人は娘を哀れみ地蔵堂を建立し供養したと言う。
しかし、これを裏付る資料はなく史実は不明である。
なお、江戸後半の文化3年(1806)に完成し
「日光道中分間延絵図」に、この地蔵堂が描かれている。
それに、ここの石仏は、明和元年(1764)の
供養塔・安永5年(1776)の
光背村地蔵尊・弘化5年(1848)に近隣14ヶ村の
信徒によって建立された馬頭観音が有るが
本尊には刻銘は無い。
ところで、この地蔵尊は北方から邪神が当村に
入るのを防ぐ境神でもある。
尚、当堂は、昭和7年より始まった旧国道の拡幅と、
今般の新県道用地で二度移動した。
不動明王かと思ったが馬頭観音である。
弘化の文字が読みとれた。
お堂の扉には鍵がかかっていました。
お地蔵様を直接見ることはできないようです。
扉のガラスから撮影。
比較的新しいお地蔵様のような印象を受ける。
火焙りにされた娘の位牌だろうか?
「光誉妙照信…」と読める。