投込寺(浄閑寺)(淨閑寺)
淨閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。
安政2年(1855)の大地震の際、たくさんの
新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、
「投込寺(浄閑寺)」と呼ばれるようになった。
花又花酔の川柳に「生まれては苦界、死しては淨閑寺」
と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
壇徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、
寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、
十冊の過去帳が現存する。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家
永井荷風はしばしば当寺を訪れている。
「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、
このような縁でここに建てられたものである。
墓地にある新吉原総霊塔
新吉原総霊塔の文字が見て取れる。
遊女の悲しい末路である。
2014年再び訪れました。
生れては苦界
死しては浄閑寺
花酔
ここに葬られた遊女は2万人とも言われている。
投込寺(浄閑寺)は全国各地にある。