東京都新宿区四谷
田宮神社
東海道四谷怪談。
一度は聞いたことがあるだろう。
(デルタン氏提供)
そのお岩さんを奉った於岩稲荷というのが東京にあるという。
しかし於岩稲荷は現在通称で正式には田宮神社という。
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田宮稲荷神社跡
文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。
歌舞伎は民衆娯楽の中心になった。
「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北
(金井三笑の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政12年(1829)11月27日没)
も化政時代の著名人である。
「東海道四谷怪談」の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)
の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。
物語は文政10年(1827)10月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した。
「文政町方書上」にある伝説を脚色したものである。
明治5年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、
昭和27年再びここに移転したものである。
東京都教育委員会
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つまり「東海道四谷怪談」というのは作り話なのである。
実際お岩さんは働き者で、傾きかけた田宮家をその器量で建て直したのだという。
そのお岩さんが田宮家の敷地内にあるお稲荷さんを一心に祈っていたことから
「お岩稲荷」となったのだという。
※ただし、これは田宮神社の歴史見解である。
そして田宮稲荷のすぐ向かいには陽運寺がある。
ここでも於岩稲荷の提灯が
陽運寺本堂。
そしてそのすぐそばには・・・。
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由来の事
江戸時代文政8年7月歌舞伎戯作者4世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が
世に喧伝され、於岩稲荷様庶民の畏敬を受け当山その由緒の所して
現在に至ったが戦災に遭い協議の上本堂を栃木下野から薬師堂を移築再建した。
棟礼には宝暦70年とある。
於岩様の戒名は得證院そう念日正大姉
墓は元鮫ヶ橋にあったが現在は移転し巣鴨新庚申塚にある。
当道堂内には於岩様御尊像奉祀され参拝者祈願の対象となり
境内には由緒の井戸、再建記念碑等がある。
於岩稲荷 長照山 陽運寺
総代、世話人一同
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これが再建記念碑である。
そしてこれが「お岩様由縁の井戸」。
現在も御霊水として使われています。
お岩さんに対する歴史認識の違う二つの神社が
同じお岩さんを祭っているいるのである。