国道沿いにぽつんとある石碑、
化厳平地蔵菩薩
林の中を進むと地蔵堂があった。
地蔵堂の中には大人の大きさほどの地蔵が
祀られていた。
赤い布で包まれた石地蔵
化厳平地蔵菩薩
位高き亮海石佛信品本八と云う神佛混清の行者有り
諸国を巡り化厳平に至り此の地古昔より様々なる
殺生の地故に非常に霊気強く未だに成佛敵わぬ諸霊を
供養せんと悟り併せて荒野を化し荒廃に困窮せし
庶民の平安無病息災を祈りて地蔵菩薩を建立せり
時に享保12年丁未5月24日西暦1727年の事なり。
中略
大縁日 旧暦7月24日縁日毎月旧暦24日
化厳平は文禄年間の頃 此の地に化厳坊なる者済み
強悪にして往来の人々を悩ます故外天公相馬義胤が
佐藤六を従えて此の地に至り自ら是を誅を時に西暦
1592年の事なり 以来此の地を化厳平と名付くも
廃藩置県の時、化厳平の地名は消え松ケ沢となり
現在に至る
石像の首が落ちた地蔵を首切れ地蔵と云う蓋し
此の地は化厳平にまつわる伝説有り且つては江戸時代
後期化厳平通路東の平地に相馬中村藩
罪人処刑場有し事より首斬の語句を冠し今も尚
首切り地蔵と称するも
菩薩の霊妙なる効験を深く信ず多くの人々之を拝す